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【保存版】つくばのススメ

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「【保存版】つくばのススメ」では、「つくばって?」をコンセプトにつくばがどんなところかをお届けします!

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つくばって?

つくばってどこにあるの?けっこう遠いイメージだけど・・・

都心から1時間ほど、交通の便もよくて意外と行きやすいよ!

つくば市は茨城県南にある人口約25万人の都市です。
東京都心から約50km、つくばエクスプレス線で秋葉原から約45分、常磐高速道の始点三郷ICから約30分に位置しています。(意外と近い?)

最近では都心へのアクセスの良さ、郊外での住環境の良さに注目が集まり、また近年のリモートワークの広まりもあって人口が増加しています。

市街地の北側には日本百名山の筑波山、南側には日本で2番目に大きい霞ケ浦があり、豊かな自然に囲まれています。

その一方でつくば市は通称「学園」とも呼ばれ、学術・研究都市としてJAXA・高エネルギー加速器研究機構・産業技術総合研究所など数多くの研究機関があり、国内外の多くの学者・研究者が街に住む国際色豊かな都市でもあります。

そうなんだ!つくば都市開発の歴史~背景~

住みやすそうな街だね、昔からつくばってこんな街だったの?

実は、昔は農地が広がる田園地帯だったんだよ。昭和に入って国が主導で開発を進めたんだ。

つくばは、時の池田勇人内閣により「研究・学園都市の建設地は、筑波地区とする。」と1963年(昭和38年)に閣議決定され開発が進められることとなりました。

当時日本が、欧米の先進諸国に追いつけ追い越せと成長をしてきた時期と重なります。
まさにつくば開発は国の威信をかけた一大プロジェクトとして立ち上がりました。

背景として、当時の都心は人口の増加による騒音・スモッグ・交通ラッシュにより良い研究環境の確保が難しくなっていて、研究施設の老朽化も進んでいたようです。

また、当時アメリカでも郊外への研究施設の移転がトレンドとなっていたこともあるようです。

アメリカの郊外移転した研究施設

昭和30年代にしてはすごいビルだね・・・

当時、研究者の私の父が移転の第一陣としてつくばに来て、のちにわたしが生まれたことでつくば出身となったよ。

そうなんだ!つくばの都市開発の歴史~開発~

都市開発は「人間性の尊重をテーマとして進められることになりました。

  • 車道と歩道の完全な分離
  • 電柱の地中化
  • もともとつくばに住む住民との調和

つくばの中心地は北・南・東・北に大通りをめぐらし、歩道は高架化して車道と完全に分離するよう設計されました。
今でも、つくばに住む子どもたちは車道を横切ることなく安心して学校まで通うことができています。
歩道も、大人4-5人が横に並んで走れるくらいの横幅がどの場所でも確保されています。

また、電柱も徹底して地中化が図られ景観にもこだわった作りとなっています。
さらに、もとの地域住民との調和を目指して様々な施設やイベントが作られたそうです。

昭和40年ころのつくば
現在の同じ場所

東大通りは現在「日本の道100選」に選ばれているよ。

当時にしては先進的な都市設計で、時のフランス大統領やイギリスのサッチャー首相も視察に訪れたほどだったそう。

そうなんだ!つくばの都市開発の歴史~85’筑波万博開催~

1985年(昭和60年)には、日本の技術の粋を集め筑波万博が開催され、2,000万人を越える人が訪れました。
外国からの参加は47カ国、37国際機関、国内28企業が参加。日本万国博覧会・沖縄国際海洋博覧会に次ぐ3番目の国際博覧会条約にもとづくもので、国家的大イベントとして、筑波のみならず全国の社会、経済に及ぼす影響はきわめて大きかったそうです。

当時、つい20年前までは田園だったとは思えない発展だね・・・

こないだラジオで福山雅治さんも、地元長崎からつくば万博に来た時の思い出を話していたよ!

現NTTのブースでは、光通信や衛星通信で各地と接続するなど、当時としては先進的な技術が紹介され人気を博していたそうです。
現在では、科学万博記念公園として一部のモニュメントとともにその姿を残しています。

EXPO’85のようす(後ろに筑波山)
現在敷地は公園に

現在では、エキスポセンター(つくば市吾妻)で当時の展示の様子を知ることができます。

エキスポセンターのロケット

ちなみにつくば市北部にある宝篋山に行くと、筑波万博に尽力した人々の氏名が刻まれたモニュメントがあります。その存在を示す看板などは無く山頂付近にひっそりとたたずんでいます。当時の面影を知れる数少ない遺構のひとつで、トレイルラン中に見つけたときはたいそう驚きました・・・!
地図のレビューコメントを見ると「見落とす可能性大」「兵どもが夢の跡」などと書かれています。宝篋山は近年になって急に登山人気が急上昇した山、当時この山への設置がなぜ選定されたのか思いを馳せるほどにもっと知りたくなりますね。

追記:中腹の松枯れして皆伐された約10ヘクタールの国有林に、1985年から86年にかけて計約3万本のヒノキを植樹、2045年まで60年間の分収造林契約を結んでいます。1985年に開かれたつくば科学万博を記念し「21世紀に豊かな緑と自然を残そう」と、朝日新聞社とともに1人1千円の植樹募金を呼びかけたところ、全国約4万2千人から寄付が集まり、ヤマザクラ、クリ、コナラなどの広葉樹も植樹しました。現地には寄付者全員のお名前を刻んだ記念碑が立っています。(森林文化協会HPより)

全国とありますが、記念碑には北は北海道、南は沖縄、遠くは海外からと本当に様々な地域からの募金が当時集まっていたようです。知っている名前がないかつい探してしまいました。(無かった)

そうなんだ!つくばの都市開発の歴史~現在~

以上、【保存版】つくばのススメでは「つくばって?」をコンセプトにつくばの成り立ち・歴史をお届けしてきました。つくばになじみのない方にも「こんな街があるんだな」と知っていただけたでしょうか。
次回「【保存版・続】つくばのススメ」で、現在のつくばをランニング視点でお伝え出来たらと思っています。
もし興味をもっていただき、つくばに行ってみたい!見てみたい!と思っていただけたらうれしいです。

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